Archive for the '文化' Category
オーストラリアにはやかんがなかった!
日本にいた頃は朝夕冷え込む季節になれば自然に麦茶を飲もうという気が失せていたように記憶しているが、メルボルンではなぜか冬でも平気で飲める。乾燥した気候のせいだろうか。そんなわけで、我が家では冷蔵庫に麦茶を年間通して常備するようになった。
麦茶を煮出すのに今までは手持ちの4ℓ鍋で済ませていたのだが、カレー等油っこいものや匂いのきついものを料理した後麦茶を作るのに同じ鍋を使うのが嫌になって、新たにやかんを購入することにした。
そして、今日キッチン専門店をいくつか渡り歩いた結果、普通のお店はいわゆるやかんを置いていないことに初めて気がついた。ショック!!電気ケトルならどこにでもあるのだが、あれは沸騰したら自動的に電源が切れてしまうため、ティーバッグを入れてから火にかけたまま3分間煮出すなどの作業ができない。こちらの人は紅茶を好むがあれは煮出す必要はない。なるほどやかんの出番はないわけだ。
中華系のお店に行けばアルミのやかんが見つかるのかもしれないが、使っているうちに平気で人体に悪影響のある物質がにじみ出てきそうで食指が動かない。
柳 宗理 ステンレス ケトル つや消し 311130
by G-Tools
Filed under: ショッピング, 文化, 食べ物 | Leave a Comment
知らぬが仏
先日我が家に届いたタウン誌をパラパラとめくっていた時、ランチボックスを紹介するページで目が止まった。
こ、これは・・。
ギャーッ!!!
ご飯に箸を差すことが日本のお葬式で見られる風習で、箸使いのタブーの一つだなんてことをオーストラリアの人が知るわきゃないのだが、それでもやはり驚いてしまったでござるよ、の巻。
グルメ以前の食事作法の常識―基本の知識216 (講談社の実用BOOK)
by G-Tools
Filed under: 文化, 食べ物 | Leave a Comment
Tags: マナー
ずっと言えなかったこと
思わせぶりなタイトルで恐縮だが、日本という国を大切に思う皆さんにどうしても今言っておきたいことがある。私は元々魑魅魍魎の蠢く政治の世界には興味がなく、この事に気がついたのはつい一週間ほど前のことなのだが、以来胸の動悸が治まらない。長くなってしまうので結論から先に言うと、最近政界で
「外国人参政権」
「地方分権」
「移民1000万人受け入れ」
をそれぞれ実現させようという動きが民主党や自民党の一部にあると聞くが、8月30日に予定されている衆議院議員選挙においてそれらの主張を持つ議員への投票を行うことは即ち
「日本が中国になる」
可能性を意味すると一人でも多くの人に知ってほしい、ということだ。
私はここまで気づくのに2年かかった。何があったかは以下。
******************************************************************************
今から2年前、メルボルンで暮らし始めて数ヶ月後のことだ。気分的にようやく落ち着いてきたので、家からトラムで5分の場所にある語学学校に通うことにした。
クラスは入学前の面接でレベル分けされ、1クラスにつき40名前後でその半数以上は中国人、その他は日本、台湾、韓国、インド、タイ、ミャンマー、ラオス、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、インドネシア、マレーシアのアジア系、ロシア、レバノン、マケドニア、ポーランド等のヨーロッパ系、リベリアからのアフリカ系が各1~3名ずつとてんでバラバラ。
それまで私は中国の人は日本のことを嫌っていると信じこんでいたので、「学校で誰かに絡まれることもあるかもしれないな」と身構えていた。ところが、私が日本人だと分かると中国人以外の人はもちろんの事、中国人も皆「日本のドラマが好き」「マンガが好き」「日本の化粧品を愛用している」「日本で食べた抹茶アイスがおいしかった」等好意的に話しかけてきた。ニコニコしながらノートに「木村拓哉」とか「酒井法子」とか書いてくれた。これには
「なんだ、中国人って感じいいじゃん」
とすっかり拍子抜けした。 そして、お互い不慣れな英語でのコミュニケーションに苦労しながらも久しぶりの学生生活を謳歌していた。
学校に通い始めて気づいたことだが、学校の最寄駅周辺を歩く人のうち9割はアジア人でその多くは中国系のようだった。商店街は中国語の看板であふれそこはまるっきり中国。オーストラリアに中国からの移民が多いことは知っていたが、改めてその現実を目のあたりにして驚いた。
そんなある日、事件は起こった。選択授業で一人別のクラスに行くことになった。いろいろなレベルのクラスから集まった生徒たちは面識のない人ばかり。
授業では英語とそれ以外の言語の語順の違いについて知ろうという主旨で、英語の例文の下に各国の生徒が それぞれの言語で対応する語句を色を分けて黒板に書いていた。その時日本人は私一人。場所が空いたので前に出て日本語で対応する文を黒板に書いていた時のこと。突然中国人グループのテーブルに座っていた30歳前後くらいの男性が
「日本で使っている漢字は中国から伝わったものだ!」
と大きな声を出した。すると、同じテーブルに座っていた他の20~30代の男女4人も
「そうだ!そうだ!」
と一斉に囃し立て始めた。 初老の女性の先生は突然の騒ぎに困惑顔で「本当なの?」と私に聞いてきた。私は「そうです」と答えた。
中国人グループは私に向かって「ヒッヒッヒ」としばらく嘲るように笑っていた。私は内心とても驚いていたのだが、なるべく表情を変えずにそのグループを見つめた。 他のクラスメート一同は異様な雰囲気に戸惑っているようだった。ほどなくしてグループは黙り騒ぎは収まったが
『・・・一体何なんだ、この人たちは』
という違和感はいつまでも私の心の中に強く残った。やはり中国人は日本人が嫌いだったのか?
その後学校生活を終えメルボルンで暮らす中でカフェや八百屋さん、コンビニ等のショップで中華系と思しき人と直接言葉を交わすことがあった。恐らく店員さん側は私が中国出身ではなく日本人(あるいは韓国人)だと察しがついているはずだが、だからと言ってあからさまに失礼な態度をとる人などいない。むしろ「君、日本人?」と嬉しそうに話しかけられることもある。
それと平行して、テレビやネットで中国人民軍によるチベットでの残虐非道なふるまい、北京五輪前の長野で行われた聖火リレーでチベット弾圧中止を訴えるため集まった活動家に対する大勢の中国人留学生たちのふるまい、そして最近では新疆ウイグル自治区での暴動のニュースを見てきた。
この2年間1対1で言葉を交わした中国人たちと、私をからかったグループ、ウイグル、長野の騒ぎでの中国人たちのイメージが重ならずずっとモヤモヤしていた。大勢集まるとつい気が大きくなって周りの見えない行動に出る集団心理は民族に関係なく働くものだが、それが他者への威嚇、時に暴力行為にまで及ぶのはなぜか。そして、一つの仮定が生まれた
――もしかして中国人の多くは内に相当の不満を溜め込んでいて、集団になると何かのきっかけでそれが爆発しやすい傾向があるのではないか。しかも、自分達の数の力をもって大騒ぎをすればある程度効果があることを理解しているのでは――
クラスメートから聞いた話によると、中国国内の暮らしは相当不自由を感じるもののようだった。インターネット閲覧に国の検閲が入るという話は有名だ。ある女性は信仰するキリスト系の宗教がらみで当局の家宅捜索を受けた話をしてくれた(勧誘も熱心にしてくれたが、丁重にお断りした)。
私はテニスファンで近年躍進著しい中国人女子プレーヤーの例を挙げると、つい最近まで選手はコーチや出場トーナメントを自分の意志で選べず、中国テニス協会の指示に従わなければペナルティを課せられたという。彼女達がプロに転向して数年経った昨年末、ようやく稼いだ賞金のうち7割を選手自身が受け取る権利を得たという報道もあった(それ以前はその半額だったとか)。ある選手の「国の命令がなければプロにはなっていなかった」と発言を目にしたこともある。
国からの縛りがきつい窮屈な日常の中で、外に違う世界があると思えば夢を見るのは必然。だからこそ、リスクを承知で多くの中国人が諸外国に流出しているのだろう。しかし、外国に出て自由を得たところで、その土地でもいつまで経っても外国人扱い。それどころか現地の人から疎まれるケースが圧倒的のようだ。中国系移民が多く暮らす国では今何が起きているのか。
リンク: 中国人「移民受け入れ」一考 博士の独り言.(カナダ・バンクーバーの例) ←時間がない人はこれだけでも読んでほしい
リンク: レコードチャイナ:移民問題の深刻なプラート、中国系住民を対象に治安強化へ―イタリア.(イタリア・プラートの例)
日本でも外国人受け入れが積極的に行われるようになれば、自国から近く、欧米的なものより馴染みやすいカルチャーが豊富で、漢字を使い、日常生活で容貌が周りから浮き立つことのない日本での生活に多くの中国人が自分の新天地を求めるのは想像に難くない。
同時に、私をからかった中国人グループの一件から見るに、心の底には日本に対して複雑な思いも抱えているようだ。中国の公教育の場で行われているという「反日教育」というもののせいだろうか。ちなみに「反日教育」とはWikipediaによると、
中国・韓国・北朝鮮における歴史教育に対し「第二次世界大戦における日本の侵略性、加害者性を過剰に強調し、これらの国が受けた被害を殊更強調する教育」をしているとして日本側が反日教育と呼ぶことがある。
最初にクラスメートとして出会っていたら彼らも普通に会話をしてくれたかもしれないが、お互い面識のない少数の日本人と中国人多数が一堂に会したとしたら、私が体験したのと同じような出来事は再び簡単に起こり得るのではないか。
日本で移民1000万人の受け入れが実現すれば、在日外国人の生活権利を巡り行政との間で何らかの摩擦が生まれることはまず間違いない。そんな状況下で長野の聖火リレーの時のように共産党から何らかの指令がきたとしたら?反日教育の成果のおかげで
「今の自分たちの生活が悪いのは日本人のせいだ!」
と集結した大勢の中国人が片手に棒を持って暴れだしたとしても、誰に命令されたわけでもないはずの中国人グループから(単なるからかいに過ぎないとは言え)攻撃を受けた身として私は驚かない。日本人の抵抗次第ではチベット、ウイグルで起きたように血みどろの大抗争になる可能性だって十分有り得る。
恐ろしいのは、最近にわかに「地方分権」も叫ばれ始めたことだ。「権限や財源を地方に移譲し、これによって地域の特性に即した”まちづくり”が可能になる」「国会議員の数が少なくて済む。国会議員の権力を弱めることができる」と聞けば何だか良いアイデアのようにも思われるが、果たして本当にそうか?
地方が政治の決定権を握るということは、今より少ない人数でその地域における重要なルールを決めてしまえるということだ。極端な話だが、ある選挙区の過半数が外国人だったとしたら?そして参政権を持っていたとしたら?数の力で何とかしてしまえるのなら、自分達に都合の良い方に法律を変えたくなるのが自然だろう。日本人ではなく流入してきた外国人が政治の決定権を握る地域。そこは最早「日本」と呼べるのだろうか?
外国人を1,000万人受け入れると、現在日本に在住する外国人約200万人と合わせてほぼ東京都の人口に匹敵する勢力が国内に生まれる。そして、1000万人の国籍の内訳は明らかにされていないが、地理的な観点でも世界の人口の割合から考えても、中国からの移民がかなりの割合を占めることになるだろう。
「これからやって来る外国人も現在日本で暮らしている外国人のように日本語を積極的に学び、日本の習慣に合わせる努力をそれなりにしてくれるはず。差別は良くない」と心優しい日本人は期待するかもしれない。
語学学校で私の見た限りでは、中国系の生徒は中国語を話す人間で一つのテーブルを固め、授業で発言する時以外はほとんど中国系同士で中国語を話していた。無理もない。日本人が周りにたくさんいたなら私だって日本人と日本語で話しただろう。わざわざ下手な英語でバックボーンの異なる他国出身の人間と話すより、母国語でやり取りする方がストレスが少なく会話が楽しいのだから。それでなくても慣れない外国生活でストレスがたまっているのに。
一斉に大量の中国人が日本に越してきたら、上記の語学学校と同じような状況になる。自分と同じ言葉を話す人間に大勢囲まれ一通りの用事が足りれば、どうして日本語などわざわざ勉強する必要があるのか。
日本で働いていた数年前、お兄さんが某府警の警察官をしているという同僚がいた。昼食をともにしながら彼女が
「兄の話だと、この頃外国人の犯罪がすごく増えてるらしいんですよね。このまま外国人が増えてったらどうなるんだろ・・・」
と話すのを、少子化で人口が減るため将来的には移民受け入れも止む無しとぼんやり考えていた私は、
「えー、でも、しょうがないんじゃないのー?人手が減るし」
と返した。あの頃の平和ボケしきった自分の暢気さを思い出しては呆れる。
メルボルンにはシティ中心部のチャイナタウンの他、郊外のBox Hill、Richmond、Springvale、Footscrayにベトナム系を含めて中国人が多く暮らす。どの街に出かけても「ここは本当にオーストラリアなのか」 と感じる。万が一日本で暮らす事になったとしても必ずや同じバイタリティを発揮するだろう。
が、これは日本の中にチャイナタウンが激増して「日帰りで行ける中国!本場の飲茶食べ放題バスツアーが6,800円!」で済む話ではない。日本が丸ごとチャイナタウン化する恐れが十分にあるのだ。そして、日本人の間で増 えすぎた外国人に対して排斥の動きでも起これば即座に数の力を持ってして日本を次のチベット、ウイグルに追い込むことだって有り得る。
個人レベルで話せば、中国の人もまた
「会計士の資格を取った後、自分は会計になんて全く興味がない事に気づいた」
「夫に『オレと結婚したならオレの母親も愛せ!』と怒られるが、自分にはそれが難しい」
「子供がオーストラリアの学校で勉強に付いていけるか心配」
「他の中国人みたいにコンビニや2ドルショップ(日本でいう100均)で働くのは嫌!」
等々私たちとそれほど変わらない悩みを持つ人たちなのだが、彼らが人間として尊重されるべき存在であることと、日本国内に大勢移り住んでいただくこととは話が別である。
縛りの厳しい自国での生活に疲れ、外国に出ても自国人同士で固まり、時に現地のルールを無視することから移民先の人間から警戒され、地球上のどこにも安住の地がない中国の人には同情しなくもない。
でも、お願いだから日本には来ないで。
王道の日本、覇道の中国、火道の米国
by G-Tools
Filed under: ニュース, 政治, 文化, 生活 | 2 Comments
Tags: チャイナタウン, 移民, 衆議院議員選挙, 地方分権, 外国人参政権
脱力!妙な日本語Tシャツが豪人気ドラマに登場
ここメルボルンで街を歩いていれば、日本語の文字が入ったTシャツを着ていたり漢字のタトゥーを彫っている人に出くわすことは全く珍しいことではない。越してきた当初は面白くていちいち反応していた私も、今やちょっとやそっとのものでは驚かなくなった。先日はスーパーのレジで私の前に並んだ男性の上腕に「福」の字を見つけたが、見事に裏表反転していた。世の中には知らない方がいい真実もある。黙ってやり過ごした。
そんなある日、かつてはあのカイリー・ミノーグも出演していた豪人気長寿ドラマ『Neighbours』で久々にインパクトのある日本語Tシャツを見た。
あい平和と幸福――「あい」が敢えて(?)漢字でないところが気に入った。それにしても、このTシャツのデザイナーは”love, peace and happiness”くらいの意味で軽く考えていたのだろうが、日本語を理解できる者にとっては何とも間抜けなデザインだ。『Neighbours』はシリアスなドラマだけに可笑しさ倍増だった。
ところで、うちにあるWilsonのリュックには英文の刺繍が入っているのだが、「CARRYING BAG」となるべき部分が「CARRING」となっている。正直恥ずかしいのだが人様からの頂き物であるうえ結構丈夫で使い出があるため、『どうせ誰もこんな細かいところまで誰も見てやしないさ』と自分に思い込ませてメルボルンでも愛用していたのだが・・・。ある日トラムに乗っていると前に座ったカップルが私のリュック辺りを見て何やらコソコソ話し始めた。はっ?もしやこのスペルミスに気づいてる?!慌てて当該の字を手で隠した。
やはり字の間違いは理解できる人にとってはアホっぽさ倍増なのだ。笑えるのだ。人に見られる英語や漢字を書く時はひと手間を惜しまず辞書を引きましょう。
Japanese Writing Samurai Character Calligraphy Art Kanji Warrior Code Benevolence Adult Military Green T-Shirt
by G-Tools
Filed under: TV, 文化, 英語 | 1 Comment
Tags: ファッション, 日本語
アメリカ人ってやつは・・・
豪チャンネル10では朝4時から2時間米CBSのモーニング・ショーを録画で放送している。ダーさんの仕事の関係で朝の早い私は 先日もダーさんを送り出した後コーヒーを淹れながらいつものようにこの番組を見ていた。
番組はニューヨークからの中継で、やがて「ズームイン!!」のように司会者がスタジオの外へ出て集まっている一般人に声をかけるコーナーに移った。司会者がその中の老夫婦に「どこから来たの?」と尋ねたところ二人の答えは「オーストラリアのシドニーよ」。すると司会者は続けて
「ああ、そう。ビッグ・シティに来てどう?」
ご夫妻はにこやかに「とても素晴らしいわ」とか無難な返事をしていたけれど、TVの前にいた私はそのいかにもアメリカ人らしい質問に「ケッ」という気分になった。そりゃニューヨークは大した都会なんだろうが、それ以外の人を端から田舎物扱いする司会者の態度はどうだ。
そう言えば日本で働いていた時、アメリカ人のお客から「これ使える?」と100米ドル札を渡されたこともあったっけ。
アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)
町山 智浩
by G-Tools
Filed under: TV, 文化 | Leave a Comment
Tags: U.S.A.
メルボルンで銭湯に行く
あれは数年前のこと。オーストラリアで暮らすことに決めたはいいが住む都市までは絞り込めておらず、とりあえずブリスベン、シドニー、メルボルンを巡る旅行を計画。「ロンリープラネット」のページをパラパラと捲っていた時、メルボルンに銭湯があることを知った。「スパ」ではなく「銭湯」。日本の方が経営しているらしい。ふーん、面白そう。
やがてメルボルンでの生活がスタート。到着後しばらく暮らしたシェアハウスでは、バスタブはあったものの一人で浴室を長時間占領するのは気がひけもっぱらシャワーで済ませていた。それでも進学をきっかけに一人暮らしを始めて以来というものそうする事がほとんどで、湯船に浸からない生活にそれほどストレスを感じていなかったのだが、ある日どうにもこうにも疲れがとれない体を持て余し「ああ、お湯に浸かりたい」と心から感じた。
『ああ、そう言えばメルボルンには銭湯があるって話だったっけ』
日本人の感覚では銭湯の入場料として26ドルはちょっとした出費だが、訪ねてみることに。
109番のトラムをPunt Rd.で下車。交通量の多いVictoria Pd.を後に一方通行の狭いCromwell Rd.を北に上る。辺りはオフィス街のようだったが、日曜の午後ということもあって真っ直ぐな通りには見渡す限り人影がなく、看板らしきものも見当たらない。ひとりぼっちの状況におびえながらも「でも、確かにこの通りで間違いないから」と信じて歩き続けていると、背後に車が近づいてくる気配を感じた。しかも、その車はやたら速度を落としている。も、もしかして強盗?今なら襲われても逃げられない自信がある!怖いよ!!
気にせぬ素振りをしつつ身を固くしていると、セダンは私の脇をノロノロと過ぎ去り数メートル先でピタッと止まった。運転席からスキンヘッドの30代くらいの男性が現れ、辺りをキョロキョロ見回しながら目の前の建物に一人で入って行った。慣れない場所によほど緊張していたのか、その建物に日本語で掲げられた「お風呂屋」の文字にその時ようやく気がついた。
男性の後に続いて入り口のドアを開けると、
「いらっしゃいませー」
と普通に日本語で声をかけられた。初めての来店である旨を伝えると、日本人の店員さんは下駄箱から親切に案内してくれ、館内の設備について一通りの説明が終わると半纏とタオルを渡してくれた。2時間の制限があるらしい。
女湯へ向かう。脱衣場に入ると、すでに入浴を済ませドライヤーで髪を乾かしている地元民と思しき女性が一人いるだけだった。入店してから店員さん以外の日本人の姿を見かけない。
ドキドキしながら浴室のドアを開けると、最初に目に飛び込んできたのは・・・・・なんと湯船に浸かる先客の顔の前に浮ぶペーパーバックだった!後頭部しか見えないが地元の方のようだ。かつてお気に入りの入浴剤を入れたぬる目のお湯に浸かりながらの読書が趣味だった私でも、銭湯で同じ事をする発想はなかった。予想外の先制パンチでショックを受けたような、「その手があったか」と先を越されて悔しいような不思議な気持ちを抱きつつ洗い場へ。日本の銭湯と同様にプラスチックの椅子を一つひょいと掴んで腰をかけたまでは良かったが、シャワーを使おうとした時その作りが少し違うことに気がついた。何?これ、どこを触ればいいの?その時洗い場には私一人。いや、他に誰かいたとしても日本人が銭湯の使い方をオージーに聞けるか!という変なプライドが働いて意地でも聞かなかっただろう。しばらくして壁に使い方が図示してあるのに気づいて事なきを得た。
続きいよいよ念願の湯船に。ペーパーバックの女性は相変わらず読書に没頭している。ゆっくり足を入れお湯加減を確かめながら、ジャボン!
・・・・・はーーーーー・・・・・
全身の毛穴から心地よい暖かさが体の内側に流れ込む。これぞ至福の一瞬。何も考えられない。視界の端にペーパーバックを読んでいる人がいなければ、まるで日本にいるのと変わらない。数分おきに上がったり入ったりを繰り返すうちにすっかり体が温まった。ちなみに、お湯は本を読み続けるには少々熱すぎる温度のように感じた。なぜペーパーバックの女性は平気でいられるのか。オージーの人はアジア人よりも皮膚が厚いのだろうか?
心行くまでお風呂に浸かったことで当初の目的は果たした。もう家に帰ってもいいのだが、せっかくお店が半纏を貸してくれたことだし2階がどんな風になっているのかも気になる。ちょっと覗いてみるか、と考えながら半纏を羽織っていると、
“ハンタン is nice.”
私の耳にはそう聞こえた。声の主の方を見やると、これから入浴するらしいオージーの中年女性二人連れが優しい笑顔で私を見ている。「ハンタン」って何だろ?意味が分からなかったので、とりあえず日本人得意の曖昧スマイルを返したその数秒後、
『あっ、”ハンタン”って半纏のことか!』
と気が付いたのだが、すっかり話の流れを掴み損ねてしまって今さら返事もしづらい雰囲気。ああ、”Thank you”とか何とか言えば良かったのに失礼なことをしちゃったな。自己嫌悪しつつ2階へ。
階段を上ると、そこはちょっと居酒屋のお座敷を思い起こさせる雰囲気の造りになっていた。各テーブルの下には畳のマットが敷いてある。久しぶりの畳を前にすっかりテンションの上がった私。他に誰もいないのをいいことに横になってストレッチを始めた。ああ、気持ちいい。やっぱり畳はいいよにゃー。いつまでも畳の感触を味わい続けたい気分ではあったが、新たに男性客が一人上がってきたことで束の間の里帰り気分は終了。
私の他に見かけた日本人のお客さんがついに女性一人だけだったのは正直意外だった。そういえば以前オージーのご婦人と鳥羽の温泉でご一緒したことがあったが、最初は人前で全裸になることに少々抵抗する素振りを見せていたけれど、湯船から朝日の昇る太平洋を眺めて満更でもなさそうな様子だったな。
銭湯 (NHK美の壺)
NHK「美の壺」制作班
by G-Tools
Filed under: 文化 | Leave a Comment
Tags: へたれ英語, 銭湯
野次馬オークション
以前郊外の一軒家に住んでいた頃の話。ある週末の午後、部屋にいると近所から男性の大きな声が聞こえてきた。どこかの家のパーティーでおっさんがビールで出来あがっているのだろう、とさして気にも止めないでいたが、やがて聞こえてくる声に独特のリズムがあることに気づいた。耳を澄ますと何か数字を叫んでいるようだ。
“Eight hundred seventy thousand!”
英語で言われた数字は一旦頭の中で思い浮かべないとピンとこない。えーっと・・・870,000・・・?
“Eight hundred seventy-five thousand!”
えーっと・・・875,000・・・?あっ、もしかしてこれが噂に聞くオークション?近所の家がオークションにかけられている真っ最中だったのだ。最終的にその家は$889,000で落札された。
日本であまり一般的ではないが、オーストラリアの住宅はオークションによって買主が決められることが多いらしい。毎週ポストに入るずっしり重い地域情報誌のページのうち半分以上はオークションの物件広告が占めている。
こちらの家は広い。テニスコートやプールが付いている物件もザラで、広告を見ているだけで何やらワクワクする。そして部屋の内装写真が皆インテリア雑誌のように美しい。純粋な私はオーストラリアの人は皆インテリアのセンスに優れているのだろうとすっかり信じ込んでいたのだが、ある時地元の人が
「売りに出す物件の写真は、家具等をレンタルして撮影するのだ」
と教えてくれたことで誤解が解けた。あー、なるほど。そりゃ、そうですよね。
その後シティ近辺に越して数ヶ月経ったある週末の午後。どこからか男性が大きな声で喋り続ける声が聞こえてきた。今回はすぐにオークションだと気づき、サッと見学に飛び出した。
向かいのアパートメントの一室がオークションにかけられているようだ。辺りには建物の前と道路を挟んだこちら側に分かれて4、50名の人が集まっている。オークショニアーが独特の口調で物件について一通り説明を終えると入札開始を宣言。
「それでは39万ドルから!」
すぐに一組が開始価格で入札するが、なかなか次の声がかからない。えっ?もしかしてこのまま終了するとか?他人事ながらドキドキしたが、しばらくして別の組から39万5千ドルの声がかかった。
オークションの様子が知りたい方は下の動画が参考になると思う。どこもこんな感じ。
遠巻きにその様子を眺めていると上等そうなスーツで決めた不動産屋のお兄さんが近寄って来て、近々オークションが行われる予定の物件一覧が載った上等な冊子をくれた。ポテンシャルカスタマーとして見てもらえたのだろうか。何かうれしい。でも、そんな予定は全くない。
大勢の人が集まっているにもかかわらず入札に参加しているのは2組のみで、あまり値が上がらない。途中、片方の入札者が冗談とも本気ともつかない様子で
「40万・・・5千・・・500ドル」
と声を上げたが受け入れられなかった。どうやら最低入札単位は$5,000らしい。オークションは5分もかからないうちに(多分)$415,000で終了した。数ヶ月前の広告で見たこの地域の似たような物件の価格を考えるとかなり値が下がっている。不況の影響はここにも現れているようだ。
いつか私もオークションに参加する日は来るのだろうか?日本円にして数千万円の買い物を決断するなんて固定価格ですら難しいのに、どんどん価格が上がっていく中冷静を保ちながら数分のうちに判断するのはかなりの精神力が必要だろうな、お金に余裕があればともかく。
オークションの人間行動学 最新理論からネットオークション必勝法まで
川越 敏司 佐々木 俊一郎 小川 一仁
by G-Tools
Filed under: ショッピング, 不動産, 文化, 生活 | Leave a Comment
Tags: オークション
あけましておめでとうございます
2009年ですね。
日本より2時間早くニューイヤーを迎えるメルボルンでは、大晦日の夜9時15分と午前0時の2度シティ周辺で花火が打ち上げられると聞き、子供連れのために比較的小規模で行われる9時台の花火を見にヤラ川沿いへ足を伸ばしてみることに。途中『SENSATION』へ向かうところらしいすでに出来上がった全身白づくめのお兄さんに”Happy new year!!”と声をかけられたり。
川沿いを歩いているとシティ方面から花火の打ち上がる音が。ところが、思っていたより高さがなく、私のいた場所からは一部しか見ることができませんでした。夜中の花火にも再度出かけるつもりだったのですが、テレビで映画『フル・モンティ』を見ているうちにすっかり再び外へ出る意欲を失ってしまい、そのままテレビで花火を見る結果に。それにしても、やはり除夜の鐘も初詣もないお正月は勝手が違って何やら締りがないですね。慣れません。
さて、そんな気分の中で迎えたお正月。ジェロの紅白動画が見たくなり、探す過程でなぜか目に付いてしまったのがエレクトーン関連の動画(子供の頃習っていたんですよ)。いつの間にか数多くの素晴らしい演奏に見入ってしまいました。
その中からお正月にふさわしいこちらの曲をご紹介して、新年のご挨拶に代えたいと思います。
琴の音での演奏の際は正座をするにくい心遣い。っていうか、この方どの演奏も素晴らしすぎるんですよ!20世紀FOXのファンファーレ付き『スターウォーズ』のテーマは圧巻。
そして、エレクトーンも昔と比べて格段に音が良くなってるんですね。なんだかまた弾きたくなってきました(下手くそなんだけど)。しかし、豪で暮らす今となっては、それは少々難しい相談。
Filed under: ご挨拶, 文化, 音楽 | Leave a Comment
クリスマス当日のシティに出かけてみた
12月25日。こちらのクリスマスは日本でいうところのお正月にあたり、普段は会えない家族が久しぶりに顔を合わせる日。そんなわけで街に繰り出す人は基本的にいない。
「ホンマにほとんど店開いてないねん」
ダーさんの話にその事実をこの目で確かめてみたくなりシティへ。彼の話す通り軒並みショップは閉まっていて、普段は所狭しと車や人がひしめくCollins Streetもこの有様。
目抜き通りであるSwanston Streetまで出ると、さすがに通常ほどではないとは言え多くの人の姿が。それでも行き交うのはいかにもクリスマスをあまり重要視していなさそうな黄色い人たちがほとんどで、健気にも営業している数少ないレストランやカフェは行き場を失った都会のクリスマス難民の受け皿としていずれも大繁盛。私たちも普段はまず立ち寄ることがないスタバに入り一服させてもらった。
明けて”Boxing Day”と呼ばれる26日も祝日で、この日からは百貨店でバーゲン商戦がスタート。豪2大デパートの片割れMyerの開店時刻は驚くことになんと朝の5時で、ここでも超朝型生活が基本のオージーの習性の一端が垣間見られたり。未明から列を作ったお客さんのため、4時半からは地元出身の人気歌手ガブリエラ・チルミちゃんが登場。オープンの際はチルミちゃん自らがドアを開けると同時に、一斉に買い物客が店内へ雪崩れ込んでいる様子がニュースで映し出された。朝の5時からバーゲンに繰り出す人とは一体どんな物好きなのか、と興味深く見ていたところ、やはり若者が中心だった模様。
Melbourne’s Boxing Day sales a big hit.
Lessons to Be Learned
Gabriella Cilmi
by G-Tools
Filed under: 文化 | Leave a Comment
意外に笑えるTOYOTAのCM
日本のものと違って、なかなか茶目っ気に溢れた傾向がある豪TOYOTAのCM。
最近ではRAV4の”Get Outdoors”キャンペーンのシリーズが秀逸だったのでご紹介。屋内で遭遇する様々な災難をテーマに、視聴者へ「外へ出ようぜ!」と訴えています。
掃除機編。うーん、これは私もいつか同じ事をやってしまいそうな気がする。
スパ編。うおっ!これはイヤだ。
実はこれが一番笑えたかも。ベッド編。
ガレージ編。痛い痛い。
シェフ編。これはちょっと笑えませんでした。
新型RAV4のすべて (ニューモデル速報 (第366弾))
by G-Tools
Filed under: TV, 文化 | Leave a Comment
Tags: CM, TOYOTA
