No Worries Diary ~メルボルンに越してはきたけれど~

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ずっと言えなかったこと

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思わせぶりなタイトルで恐縮だが、日本という国を大切に思う皆さんにどうしても今言っておきたいことがある。私は元々魑魅魍魎の蠢く政治の世界には興味がなく、この事に気がついたのはつい一週間ほど前のことなのだが、以来胸の動悸が治まらない。長くなってしまうので結論から先に言うと、最近政界で

「外国人参政権」
「地方分権」
「移民1000万人受け入れ」

をそれぞれ実現させようという動きが民主党自民党の一部にあると聞くが、8月30日に予定されている衆議院議員選挙においてそれらの主張を持つ議員への投票を行うことは即ち

「日本が中国になる」

可能性を意味すると一人でも多くの人に知ってほしい、ということだ。

私はここまで気づくのに2年かかった。何があったかは以下。

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今から2年前、メルボルンで暮らし始めて数ヶ月後のことだ。気分的にようやく落ち着いてきたので、家からトラムで5分の場所にある語学学校に通うことにした。

クラスは入学前の面接でレベル分けされ、1クラスにつき40名前後でその半数以上は中国人、その他は日本、台湾、韓国、インド、タイ、ミャンマー、ラオス、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、インドネシア、マレーシアのアジア系、ロシア、レバノン、マケドニア、ポーランド等のヨーロッパ系、リベリアからのアフリカ系が各1~3名ずつとてんでバラバラ。

それまで私は中国の人は日本のことを嫌っていると信じこんでいたので、「学校で誰かに絡まれることもあるかもしれないな」と身構えていた。ところが、私が日本人だと分かると中国人以外の人はもちろんの事、中国人も皆「日本のドラマが好き」「マンガが好き」「日本の化粧品を愛用している」「日本で食べた抹茶アイスがおいしかった」等好意的に話しかけてきた。ニコニコしながらノートに「木村拓哉」とか「酒井法子」とか書いてくれた。これには

「なんだ、中国人って感じいいじゃん」

とすっかり拍子抜けした。 そして、お互い不慣れな英語でのコミュニケーションに苦労しながらも久しぶりの学生生活を謳歌していた。

学校に通い始めて気づいたことだが、学校の最寄駅周辺を歩く人のうち9割はアジア人でその多くは中国系のようだった。商店街は中国語の看板であふれそこはまるっきり中国。オーストラリアに中国からの移民が多いことは知っていたが、改めてその現実を目のあたりにして驚いた。

そんなある日、事件は起こった。選択授業で一人別のクラスに行くことになった。いろいろなレベルのクラスから集まった生徒たちは面識のない人ばかり。

授業では英語とそれ以外の言語の語順の違いについて知ろうという主旨で、英語の例文の下に各国の生徒が それぞれの言語で対応する語句を色を分けて黒板に書いていた。その時日本人は私一人。場所が空いたので前に出て日本語で対応する文を黒板に書いていた時のこと。突然中国人グループのテーブルに座っていた30歳前後くらいの男性が

「日本で使っている漢字は中国から伝わったものだ!」

と大きな声を出した。すると、同じテーブルに座っていた他の20~30代の男女4人も

「そうだ!そうだ!」

と一斉に囃し立て始めた。 初老の女性の先生は突然の騒ぎに困惑顔で「本当なの?」と私に聞いてきた。私は「そうです」と答えた。

中国人グループは私に向かって「ヒッヒッヒ」としばらく嘲るように笑っていた。私は内心とても驚いていたのだが、なるべく表情を変えずにそのグループを見つめた。 他のクラスメート一同は異様な雰囲気に戸惑っているようだった。ほどなくしてグループは黙り騒ぎは収まったが

『・・・一体何なんだ、この人たちは』

という違和感はいつまでも私の心の中に強く残った。やはり中国人は日本人が嫌いだったのか?

その後学校生活を終えメルボルンで暮らす中でカフェや八百屋さん、コンビニ等のショップで中華系と思しき人と直接言葉を交わすことがあった。恐らく店員さん側は私が中国出身ではなく日本人(あるいは韓国人)だと察しがついているはずだが、だからと言ってあからさまに失礼な態度をとる人などいない。むしろ「君、日本人?」と嬉しそうに話しかけられることもある。

それと平行して、テレビやネットで中国人民軍によるチベットでの残虐非道なふるまい、北京五輪前の長野で行われた聖火リレーでチベット弾圧中止を訴えるため集まった活動家に対する大勢の中国人留学生たちのふるまい、そして最近では新疆ウイグル自治区での暴動のニュースを見てきた。

この2年間1対1で言葉を交わした中国人たちと、私をからかったグループ、ウイグル、長野の騒ぎでの中国人たちのイメージが重ならずずっとモヤモヤしていた。大勢集まるとつい気が大きくなって周りの見えない行動に出る集団心理は民族に関係なく働くものだが、それが他者への威嚇、時に暴力行為にまで及ぶのはなぜか。そして、一つの仮定が生まれた

――もしかして中国人の多くは内に相当の不満を溜め込んでいて、集団になると何かのきっかけでそれが爆発しやすい傾向があるのではないか。しかも、自分達の数の力をもって大騒ぎをすればある程度効果があることを理解しているのでは――

クラスメートから聞いた話によると、中国国内の暮らしは相当不自由を感じるもののようだった。インターネット閲覧に国の検閲が入るという話は有名だ。ある女性は信仰するキリスト系の宗教がらみで当局の家宅捜索を受けた話をしてくれた(勧誘も熱心にしてくれたが、丁重にお断りした)。

私はテニスファンで近年躍進著しい中国人女子プレーヤーの例を挙げると、つい最近まで選手はコーチや出場トーナメントを自分の意志で選べず、中国テニス協会の指示に従わなければペナルティを課せられたという。彼女達がプロに転向して数年経った昨年末、ようやく稼いだ賞金のうち7割を選手自身が受け取る権利を得たという報道もあった(それ以前はその半額だったとか)。ある選手の「国の命令がなければプロにはなっていなかった」と発言を目にしたこともある。

国からの縛りがきつい窮屈な日常の中で、外に違う世界があると思えば夢を見るのは必然。だからこそ、リスクを承知で多くの中国人が諸外国に流出しているのだろう。しかし、外国に出て自由を得たところで、その土地でもいつまで経っても外国人扱い。それどころか現地の人から疎まれるケースが圧倒的のようだ。中国系移民が多く暮らす国では今何が起きているのか。

リンク: 中国人「移民受け入れ」一考 博士の独り言.(カナダ・バンクーバーの例) ←時間がない人はこれだけでも読んでほしい
リンク: レコードチャイナ:移民問題の深刻なプラート、中国系住民を対象に治安強化へ―イタリア.(イタリア・プラートの例)

日本でも外国人受け入れが積極的に行われるようになれば、自国から近く、欧米的なものより馴染みやすいカルチャーが豊富で、漢字を使い、日常生活で容貌が周りから浮き立つことのない日本での生活に多くの中国人が自分の新天地を求めるのは想像に難くない。

同時に、私をからかった中国人グループの一件から見るに、心の底には日本に対して複雑な思いも抱えているようだ。中国の公教育の場で行われているという「反日教育」というもののせいだろうか。ちなみに「反日教育」とはWikipediaによると、

中国・韓国・北朝鮮における歴史教育に対し「第二次世界大戦における日本の侵略性、加害者性を過剰に強調し、これらの国が受けた被害を殊更強調する教育」をしているとして日本側が反日教育と呼ぶことがある。

最初にクラスメートとして出会っていたら彼らも普通に会話をしてくれたかもしれないが、お互い面識のない少数の日本人と中国人多数が一堂に会したとしたら、私が体験したのと同じような出来事は再び簡単に起こり得るのではないか。

日本で移民1000万人の受け入れが実現すれば、在日外国人の生活権利を巡り行政との間で何らかの摩擦が生まれることはまず間違いない。そんな状況下で長野の聖火リレーの時のように共産党から何らかの指令がきたとしたら?反日教育の成果のおかげで

「今の自分たちの生活が悪いのは日本人のせいだ!」

と集結した大勢の中国人が片手に棒を持って暴れだしたとしても、誰に命令されたわけでもないはずの中国人グループから(単なるからかいに過ぎないとは言え)攻撃を受けた身として私は驚かない。日本人の抵抗次第ではチベット、ウイグルで起きたように血みどろの大抗争になる可能性だって十分有り得る。

恐ろしいのは、最近にわかに「地方分権」も叫ばれ始めたことだ。「権限や財源を地方に移譲し、これによって地域の特性に即した”まちづくり”が可能になる」「国会議員の数が少なくて済む。国会議員の権力を弱めることができる」と聞けば何だか良いアイデアのようにも思われるが、果たして本当にそうか?

地方が政治の決定権を握るということは、今より少ない人数でその地域における重要なルールを決めてしまえるということだ。極端な話だが、ある選挙区の過半数が外国人だったとしたら?そして参政権を持っていたとしたら?数の力で何とかしてしまえるのなら、自分達に都合の良い方に法律を変えたくなるのが自然だろう。日本人ではなく流入してきた外国人が政治の決定権を握る地域。そこは最早「日本」と呼べるのだろうか?

外国人を1,000万人受け入れると、現在日本に在住する外国人約200万人と合わせてほぼ東京都の人口に匹敵する勢力が国内に生まれる。そして、1000万人の国籍の内訳は明らかにされていないが、地理的な観点でも世界の人口の割合から考えても、中国からの移民がかなりの割合を占めることになるだろう。

「これからやって来る外国人も現在日本で暮らしている外国人のように日本語を積極的に学び、日本の習慣に合わせる努力をそれなりにしてくれるはず。差別は良くない」と心優しい日本人は期待するかもしれない。

語学学校で私の見た限りでは、中国系の生徒は中国語を話す人間で一つのテーブルを固め、授業で発言する時以外はほとんど中国系同士で中国語を話していた。無理もない。日本人が周りにたくさんいたなら私だって日本人と日本語で話しただろう。わざわざ下手な英語でバックボーンの異なる他国出身の人間と話すより、母国語でやり取りする方がストレスが少なく会話が楽しいのだから。それでなくても慣れない外国生活でストレスがたまっているのに。

一斉に大量の中国人が日本に越してきたら、上記の語学学校と同じような状況になる。自分と同じ言葉を話す人間に大勢囲まれ一通りの用事が足りれば、どうして日本語などわざわざ勉強する必要があるのか。

日本で働いていた数年前、お兄さんが某府警の警察官をしているという同僚がいた。昼食をともにしながら彼女が

「兄の話だと、この頃外国人の犯罪がすごく増えてるらしいんですよね。このまま外国人が増えてったらどうなるんだろ・・・」

と話すのを、少子化で人口が減るため将来的には移民受け入れも止む無しとぼんやり考えていた私は、

「えー、でも、しょうがないんじゃないのー?人手が減るし」

と返した。あの頃の平和ボケしきった自分の暢気さを思い出しては呆れる。

メルボルンにはシティ中心部のチャイナタウンの他、郊外のBox Hill、Richmond、Springvale、Footscrayにベトナム系を含めて中国人が多く暮らす。どの街に出かけても「ここは本当にオーストラリアなのか」 と感じる。万が一日本で暮らす事になったとしても必ずや同じバイタリティを発揮するだろう。

が、これは日本の中にチャイナタウンが激増して「日帰りで行ける中国!本場の飲茶食べ放題バスツアーが6,800円!」で済む話ではない。日本が丸ごとチャイナタウン化する恐れが十分にあるのだ。そして、日本人の間で増 えすぎた外国人に対して排斥の動きでも起これば即座に数の力を持ってして日本を次のチベット、ウイグルに追い込むことだって有り得る。

個人レベルで話せば、中国の人もまた

「会計士の資格を取った後、自分は会計になんて全く興味がない事に気づいた」
「夫に『オレと結婚したならオレの母親も愛せ!』と怒られるが、自分にはそれが難しい」
「子供がオーストラリアの学校で勉強に付いていけるか心配」
「他の中国人みたいにコンビニや2ドルショップ(日本でいう100均)で働くのは嫌!」

等々私たちとそれほど変わらない悩みを持つ人たちなのだが、彼らが人間として尊重されるべき存在であることと、日本国内に大勢移り住んでいただくこととは話が別である。

縛りの厳しい自国での生活に疲れ、外国に出ても自国人同士で固まり、時に現地のルールを無視することから移民先の人間から警戒され、地球上のどこにも安住の地がない中国の人には同情しなくもない。

でも、お願いだから日本には来ないで。

王道の日本、覇道の中国、火道の米国

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Written by こみね

17/07/2009 at 10:09 am